05/19/2009

安静は無駄で有害?

毎週連載のクリスチャン・ドクター日野原重明さんの「97歳・私の証」を興味深く読んでいる。去16日の記事を紹介したい。それは「骨粗しょう症」のことえある。この鬆(しょう)という文字は、髪の毛が疎らになり、乱れている姿を表現した言葉とか。つまり骨が疎らになること、骨の密度が低下して、すかすかになった状態が「骨粗しょう症」で、従って骨折しやすい症状なのだという。
発症は男女に差異があるようだが、女の方が早い。ホルモンの関係らしい。男性は60~70歳以上に見られる。
骨密度を高めることで骨折を予防できる訳だが、そのためには定期的に自分の骨密度を知っておくことが大切だという。65歳以上の老人では日中も運動不足になりがちなため、短期間のうちに骨粗鬆症が進行することが判り、骨折などきっかけに寝きりになる話が多い。安静にしているうちに骨がよわるのだそうだ。

 最近は手術後もどんどん運動をさせるようにしている。無駄で有害な安静を取らないように気をつけるべきであると。「廃用症候群」という言葉があり、人間の身体は、使わないと骨も筋肉も内臓の働きも弱くなるいう。安静は骨折を引き犯すだけでなく、時には認知症をも進行することになるという。いやはやとんでもない認識不足だった。
尤も安静が必要な病気があることは論を待たない。

 そんな訳で高齢者は適度な運動を毎日することである。「骨折り損のくたぶれ儲け」という言葉を思い出した。happy01

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04/04/2009

天国銀行 

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わたしは伝道という言葉を聞くと、60年前に40歳で亡くなった父の姿を思い出します。父は家の二階に仕事場にしてウルシ塗りの座敷机を作っていたのですが、若い頃から熱心なクリスチャンで、私は小さい頃から父に連れられた日曜学校に行っておりました。父は一日の仕事を終えると、私に十字架の印のついた提燈を持たせて路傍伝道に出掛ける事が度々ありました。
月末になると得意先へ集金に回るのですが、集金したお金を持ったまま、夕方、教会の伝道集会に参加するのです。そして、伝道者の説教に感激したと云って、大金の入った財布ごと献金して帰ってくるのです。家には、材木やウルシ等、仕入先の番頭さんが集金に来て待っているので、母が「集金はどうなったんや」と聞くと、父は「全部献金して来た」と云うので、母は教会へ返して貰いに走って行くことが度々ありました。
母がいつも困っていたのは、その頃、「乞食さん」と云われて公園等に夫婦子連れで放浪している人達をよく見掛けたのですが、父は可哀相だからと云って、家へ連れて来るので、母は汚れた着物を洗ってやったり、食事を作って食べさせたり、自分の家の子供の他世話から、住み込み職人さんの食事作りと、乞食さんの世話迄させられて大変だったのです。
父はその人達に、キリスト教の正しい生き方について、話をしてやっていた様でした。しばらくしてその人達が居なくなると、又別の親子連れを連れてくるのです。又ある時は長島愛生園を逃げ出した人達が父を頼って来て、しばらく住んでいた事もありました。
父は日曜日には近所の子供達を集めて、日曜学校を開き、賛美歌を教えたり、聖書の話をしたりしていました。その父も40才で病死したのですが、亡くなる前に、母に「私が居なくなっても、この家は神様が守って下さるから、お金の心配はするな、天国の銀行には家族が一生使っても、使い切れない程のお金を預金してあるから、必要になれば神様がいくらでも下さる」と云ったのです。
父が居なくなってからは、父が居た時と同じ様に聖書を読んで家庭集会を持つ様になり、牧師先生にも来てもらい近所の人達にも声を掛けて家庭集会会を持つ様になり、私も近くの教会へ行く様になり今迄続いています。私達兄弟の良男は、父の遺志を継いで牧師になり、三重県松阪市で伝道者として働いています。
父が預けたと云う天国銀行の頂金は、六十年過ぎた今になっても神さまから貰い続けている事に気付くのです。私も父に習い、家族、孫達が神様から沢山頂けるように、天国銀行の頂金に励んでいます。            松本清視

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02/27/2009

日本で召天したディエゴ・パチェコ神父

今年1月31日朝日に載っていた記事であるが、日本名は結城了悟さん。86歳で08年11月「悪性リンパ腫」だったとある。日本名は1636年大阪で殉教した結城了雪の三文字を貰ったという。スペインからイエズス会宣教師として48年来日、キリシタン史の研究を始めたそうだ。豊臣秀吉の弾圧で処刑された26聖人を顕彰する記念館館長を1962年から続けてこられたようだ。特に日本人の殉教者の研究に専念し、著作は60を超えるとか。
 『病床でも殉教者の本を書いた。アギラール神父(62年から共に長崎で宣教する)が「何故殉教者を研究するのか」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。「キリスト教のために命をささげたのは日本人。キリスト教はあなたたちの宗教だとに日本人に伝えたい」。研究を続けたのは宣教師としての使命からだった』と結んでいる。
 記念館の前の遺影を見ると、86歳とは思えない若々しいお顔である。
 感心しているのは、カトリックの神父は日本国籍を得て日本人名を名乗り、日本で召天される方が多い。埋葬のことは判らないが、プロテスタントの宣教師は、病気になると帰国する。また日本で召されると、遺体を母国に空輸して葬儀を行なったり埋葬する。宣教師としてはそれが当然なのだろうが、死に対する感覚がどこか違うように思う。「私たちの本国は天にある」(フィリピ3章20節)という告白を証しているのだろう。
 在日の神父さんたちに聞いてみたいことである。

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01/29/2009

ハーンの作った試験問題

 これは昨年8月の新聞切り抜きで、いささか旧聞に過ぎるが、まだブログに載せていないとおもうので、きょうここに投稿することにした。それは小泉八雲(ラフカデイオ・ハン=ヘルンとも言う)の記事である。
熊本大学(熊本市)の前身のである旧制第五高校の校舎が、大学構内に「五高配念館」として残され、夏目漱石らゆかりの人物の展示があるという。五高がまだ第五高等中学校だった明治時代、英語教師として赴任したラフカディオ・ハーンが作った英語の試験問題も展示されているという。
 ハーンに詳しい熊本大教育学部の西川盛雄教授に問題の一つを訳してもらったという訳である。それはイギリスを代表する文人カーライルが学生に『何を読むべきか』と尋ねられ、『永遠なるものを読みなさい』と答えた。これについてコメントし、『永遠なるもの』について解答者自身の意見を書きなさい」
 これが、ハーンの作った試験問題である。
 アメリカの新聞記者だったハーンが来日し、最初の生活したのが島根県松江市であり、そこに中学校英語の教師をしていた頃、武家の娘で女中奉公をしていた小泉セツと結婚したのである。余りに寒くて松江での生活は一年少々、熊本に転居したのは明治24年(1891)11月だったことはよく知られている。彼は日本の民話特に怪談を収集して作品としたが、およそキリスト教嫌いで馴染めなかった方、聖書にある「永遠性」と日本古来の「神々」とは相容れないと思う。その辺の乖離を問いかけているのだろう。
当時のハーンの精神的な問題を垣間見ることができる。

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12/17/2008

一番でなくてよい

先週テレビを観ていたら、元オリンピック選手であり長距離ランナーでよく知られている松野明美さんの対談があった。最近はタレントの顔ももっているようだ。
対談の内容は、これまで選手生活でゴールを目指して懸命に走ることだけに心が一杯であった。それは記録に繋がり、社会の注目を集め、評価されてきた。これが生き甲斐だったそうだ。
確かに小柄で(147センチ)、必死に走る姿が映像でのこっている。
その後彼女は前田直治さんと結婚し、自分の経験を講演で話しており、巧みな話術で人気タレントのように評判になっていたようだ。
男児が二人与えられたが、二男健太郎ちゃんはダウン症であることを受け入れる経緯が特に印象に残った。
最初は周囲の人に知られないようにして成長を見守っていたが、次第に彼女の人生観が大きく変わったという
それはゴールを目指して走るというのでなく、健太郎ちゃんと一緒に歩く、人と比較してではない、一番にならなくても良いのだということに変えられた。つまり健太郎ちゃんから教えられて価値観が変わったというのである。
ネットでホームページを開いてみたら、まだ底までの記述は無かったが(10月に二男のダウン症のことを公表した)
、これは考えさせる話で、今後いろいろと話題になると思う。
 イエスも、幼子のようにならねば、天の国に入れないといわれた。それは純水無垢というのではなく、大人の価値観を変える生き方を示したものである(マタイ福音書18章1~5節、10節、19章14節を読みたい)

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12/01/2008

キリシタン灯篭

昨日の朝日新聞に叺田松雄さんの”「鞆」撮りある記”という文章と写真が目に留まった。
 鞆の浦は福山湾に面した漁港で「鯛網漁」ではよく知られている処、最近の話題は、旧い町並みを保存する運動が起きている。福山市は一部地元の要望で港に面したところに架橋工事して自動車道のバイパスをつけることが市議会で可決したが、それでは歴史のある鞆の浦の景観は無くなってしまうことになるという。有識者の意見を聞くと、この自動車道バイパス工事に概ね反対のようである。
 この反対運動とは直接関係ないが、鞆の古寺、阿弥陀寺にキリシタン灯篭が残っているとして写真が載っていた。高さ60センチほどの石柱で中心に小さな童子が浮き彫りされている。石柱上部は丸みがあり十字架を思わせるようだ。
 解説によれば、鞆は古くから西洋との交流があり、関ヶ原の戦いの後、備後地方を領有した福島正則のもとで布教活動がなされていという。その時代の名残だというのである。
そうかも知れないが、「キリシタン灯篭」はそもそもキリシタン迫害の時代に、隠れキリシタンらが、茶道の中でキリスト教の聖餐式を守り礼拝をしていたことと深くかかわっているものである。(聖餐式と茶道の所作が似ていることと、庭に面してキリシタン灯篭を置いた)。
 キリシタンの迫害は三百年以上続いているが、この灯篭は中国地方では、萩、津和野、松江などに遺跡として保存されている。福山藩主の許にも長崎4番崩れの時にキリシタンが移送されてきたという記録もあるので、時代的には、大分開きがあるようにも思われる。
ともあれ近い町なので、一度訪ねて見たいと思った。

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10/02/2008

光不足は病気になる

 朝日新聞に「ひかりのカルテ」と言う極めて興味深い文が載っていた。先ず季節によって日照時間が短くなる北欧の事例が挙げられていた。ここで「季節性感情障害」と呼ばれる病気があるそうだ。今の
時期から症状が出始め、翌年の2~′3月には治るというものである。
 睡眠や生体リズム、精神医学などが専門の、滋賀医科大睡眠学講座の大川匡子持任教授の話では日本でもみられる由。意欲低下や、疲れやすさの症状に加え、昼間の眠気、体重増加などの傾向があるそうだ。
全容はまだ分かっていないが、光の不足や体内リズムの乱れが主な原因と推測されている。夜更かしを続け、朝は日の光を浴びないまま電車に飛び乗り、一日中建物内で過ごす。ストレスが加わると同じ症状が起きるという。
予防は極めて簡単で、「毎日30分から1時間を目安に朝日をあびること」「睡眠に影響を与えないよう夜は暗くする」ことであるそうだ。聖書では「光」に関する記事は多くある。教会学校賛美歌に「光、ひかり、光のように明るいこども、いつも明るく遊びましょう」と歌う。わたしの知っている幼稚園に「ひかり幼稚園」というのが、多くある。光を得て健全な日々を歩みたいと願う」

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08/29/2008

路傍の石

これは山本有三が1936年に書いた作品である。翌年日中戦争が起こり時の政府は「児童読物に関する指示要綱」を発表、民主主義を表わす内容のいっさいの読物に圧力をかけ禁止した。この作品は、人間に対する差別を批判し、人間の尊さを守り、力強く生きていくことを理想とする内容であったが、時局に迎合できない有三は、1940年に筆をおり、未完のままに終止符が打たれた。
彼は「ペンを折る」の中で「時代の認識に調子を合わせようとすれば、ゆがんだ形のものを書かねばなりません。…あの作品は路傍に投げ捨てるよりほかありません」と書いているようだ。
 主人公の愛川吾一は貧しい家庭に育ち、小学校を出ると呉服屋へ奉公に出される。父庄吾は武士だった昔の習慣に囚われて働きを嫌い、母おれんが内職で生計をたてていたので、吾一は中学進学を断念したのである。希望していたが、母の苦労を見てあきらめる。その後、母親が手仕事で注文を受けていた呉服屋から丁稚奉公にと話があり、勤めることになる。そんな中の一場面がある(東映から家城巳代治監督により1964年6月「路傍の石」映画化)。
一番で高等小学校を卒業したものの、前途に希望を失った吾一は、卒業式の帰り道いつもの河原にやってきて呆然と立っていると、突然、クラス担任の次野先生に呼び止められた。「中学へ行けないんです」と一言発した途端、胸から悲しみが突き上げてきて、激しく泣きじゃくってしまった。しばらくして、次野先生は、「愛川、おまえの名前は何というのだ。ここに書いてみろ」と静かに話し掛けた。吾一は言われるままに、先生の拾ってきた石で「吾一」と書いた。
「吾一か、実に良い名前だ。吾一、おまえは自分の名前の意味を考えたことがあるか。吾一というのは、“我は一人なり”世界に何億の人間がいるかも知れないが、愛川吾一というものは、世界中にたった一人しかいないのだ。だが、一人ぼっちとは違う。仲間はたくさんいる。先生もおまえの仲間だ。千万人行けども我行かぬ。たった一人しかいない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら、人間生まれてきた甲斐がないじゃないか。福沢諭吉は言った、『学問は米を搗きながらでも出来る』って。これからのおまえの人生はおまえのこの二つの手で切り開いて行かねばならい。分ったか」。
次野先生の言葉は胸にずしんとくるものがあり、吾一はこっくりとうなずいて川の水で顔を洗うと、「ようし、やるぞ!」と勇気が沸いて来た。

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07/12/2008

黙すことの難しさ

  

三育協会(アドベンチスト教団出版部)のサインズ7月を頂いたが、その中に山北宣久牧師の“笑いとエスプリ”という記事が載っていた。ゲーテの日記にマクア・クルム教会を訪問した時、説教壇に「言葉は沈黙に基づく(Lingua Fundamentum Sancti Silenti)と彫刻されているのを見て心動かされ、手帳に書き写したということを紹介している。沈黙を経ない言葉は軽く、その場限りの思いつきで何も後に残らないということ、静かに深い沈黙の中で祈り、内面的な世界を掘り下げて外に向って語り伝えるというのが説教ということになるだろう。「沈黙は神からの言葉を思い巡らす領域」と山北牧師は結んでいた。

以前東京の「イエズス会黙想の家」で神学生の退修会が三日間あり参加したことがあったが、プログラムに沈黙を取り入れた処、会が終わった後の感想でH教授が音を上げて不評だった。教団出版部の「説教と黙想」シリーズの書物がいつの間にか「釈義から説教」に変わっているのを見ても、牧師は黙想が苦手であるようだ。

50年前、補教師試験に提出する説教の聖書箇所が詩62であった。その1節「わがたましいは黙してただ神を待つ。わが救いは神から来る」とあるが、この原文の「黙して」(ドゥミヤー)は、「黙して・待つ」の一語である。

いつも思い出している。

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06/22/2008

花の日

08a花を咲かせ、わたしたちに下さった神さま」 

イザヤ3512

 きょうは、「花の日・こどもの日」の日曜日です。どうしてその様の言われているかは週報に書きました。一寸読んで見ましょう。160年も前にアメリカのチャールス・H・レオナルド牧師さんが最初に始めました。それからしばらくして6月第二の日曜日を「花の日・こどもの日」にしようとキリスト教会で決めたのです。

お花は何もしゃべりませんが、花を通していろいろ神さまが教えてくださるのです。お花には大切なものが三つあります。何でしょうか。それは「土と水と太陽」です。これがあれば、いつでもどこで、種から芽が出て、葉ができて、大きく伸びてきて花が咲きます。

砂漠」という砂ばかりの処では草も木も生えて来ませんネ。何故でしょうか。ところがそこに雨が降り、川が流れると、一斉に緑の大地に変わるのです。ユダヤの荒れ野をバスで通ったことがありますが、所々に草と木が生えていました。それは谷間で一年の間に少しばかり雨が降って植物が生える土ができているからです。

今朝の聖書箇所には、砂漠に雨が降って泉が湧いて草が生え、サフランの花が咲くといっているところです。これは神さまがわたしたちに教えておられることです。

ところで、レオナルド牧師の真似をしてきょうはみんなにお花をプレゼントしようと用意しました。この花の名前を大人は知っていますが(教えないでください)、「千寿菊」「万寿菊」という日本名は知らないでしょう。これは花の寿命のことです。この花の原産地は雨の少ないメキシコです。水を切らせないなら五月から十月まで、次々と花が咲きます。

この花が咲き始めたのが、五月マリアさんの誕生日だったことから、「黄金のマリアさまの花(マリー・ゴールド)「黄金の花」と呼ばれるようになったのです。

花の王様はバラで、全世界の人から愛されていますが、一つ困ったことがあります。それは痛い、痛いとげがあります。好い香りだナと近づくとチクリと刺されます。それに比べると棘はないのですが、独特の香りがあります。それはハーブと同じです。今ひとつ神さまは、黄金のマリアさんの生えている根っこに線虫という作物の根を食う虫を防除する働きがあるのです。「線虫捕食菌」と呼ばれます。そこで、トマトや胡瓜、茄子の間に植えるのです。教会の畑に今年は、この花を植えているのに気付いたでしょうか。わたしは「マリー・ゴールドさん有難う」と言っています。

今ひとつは最近の化学実験から、この花びらから抽出した色素から「暗順応改善薬」の原料が取れたのです。「アドチプノール」と言われ、現在目の薬として使用されています。因みにこの花言葉は「生きる」です。

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05/22/2008

神の名を呼ぶ

Dscf0027  祈祷会で、加藤常昭著祈りへの道」を通読しているが、第8章「聖化される祈り」の本文に、心に留まった文があったので、少し引用したい。

 「神の名を知らなければ、祈ることはできません。しかし、神の名をちやんと知って、呼ぷことができるようになったら、その神の名を呼ぷだけで、そこに関係が成り立つのです。丁度、自分の好きな母親がそばにいてくれて、「お母さん」と呼べば、はっきり返事をしてくれなくても、こっちを向いてくれるのと似ています。それ以上の会話はいらないでしょう。親子の間には、それで通じるものがあるのです。…略…私どもと神さまとの間にも似たようなところがあるのではないでしょうかアッシジのフランチェスコという人のことは御存じでしょう。この人の最初の弟子になったの、ベルナルドという人でした。この人は、富裕な商人でしたが、ある時、自分の家にフランチェスコを招き、自分の寝室に一緒に寝てもらいました。彼が眠ったものと思ったフランチェスコは、起き上がって祈りを始めました。それは、「わが神よ、わがすべてよ」という言葉だけの祈りでした。それが朝まで続いたのです。この祈りを眠ったふりをしたまま聞いたベルナルドは、そののちに弟子になる決心をしたと言います。

 このよく知られた物語も、祈りとは、何よりも神のみ名を呼ばせて頂くことであるということを、よく示していると思います。もし皆さんの中で、祈ることはむずかしい、特に祈りの言葉を見出すのがむずかしいと思っておられる方があれば、神の名を呼びさえすればよいのだということを、一度よく考えてみてくださるとよいと思います。神の名を呼びさえすればよいのです。少なくとも、祈りはそこから始まります。」

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05/05/2008

生きる意味の発見

 浜松医大附属病院心療内科医の永田勝太郎さんの対談記事が朝日新聞に載っていた(0853)。タイトルは「生きる意味に気づく

永田さんはスイスの精神科医ビクトル・フランクルとの親しい交流があった方である。フランクルよく言っていたのは「どんな人間にも意味がある。その意味に向かって突き進むときに人間らしさが発揮される周りの人にできるのは、その意味に一緒に気づくこと」という。

ある時ふと浮かんだのが、学生時代に読んだフランクルの『夜と霧』でご本人に手紙を書いたら返事が来て「ウィーンにいらっしゃい。ホテルに着いたら電話を」。ふっとんで行った。それから亡くなるまでの十数年、休みがとれると会いに行ったそうだ。“先生は、ささいなことでも笑いに変えるユーモア精神の持ち主。一方で、ご自宅には、アウシユビッツで亡くなった人を運ぶ絵がかけてあった。自分に起きたことは、事実は事実として、どこかクールにみていた。先生が亡くなった翌年、僕は末梢から筋肉が萎縮して力が抜けていく病気で寝たきりになった。寝返りも打てない。温泉病院に転院して毎日リハビリしたが、良くならない。もうダメだ。先生の奥さんのエリーさんに「ごめんなさい。先生の元へいきます」と手紙を出しら返事が来て「彼がいつも育っていた言葉を贈ります」。〈人間は誰しも心のなかにアウシュビッツを持っている。でもあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない

何百回も読み返した。心のなかのアウシエビッツとは、生死を分かつような苦悩のこと。もしまだ僕を待っている何かがあるとしたら、何だろうか。それは医学教育だと思った。約2年休んで復帰した。多くのものを失ったけど、いまは杖もいらない。

いま、生きていてよかったと思うことは何か。それは医療職にとって一番避けたい話題は死。「先生私、死ぬんですか」って聞かれたとき、答えられない。だけど、いまは言える。「いいか、これは医者として言うんじゃない、人間として言うんだよ。僕は三途の川まで行って来たからね。だから今、生きていることが楽しくてしょうがないよ。あんただって今、生きてるじゃねえか」と。

Photo

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04/26/2008

平和の象徴ハト

   新聞記事に「平和の象徴に受難の時代」というタイトルの記事があった。ハトが何故平和の象徴なのか、余り知られていないが、聖書創世記のノアの洪水物語(8章11節)から来ている。新しい大地が到来した時にそれをいち早くオリブの葉をくわえてノアに知らせたことから、平和の象徴ということになったのである。以前煙草の「ピース」に絵柄でこれが画かれていた。

 鳩を人が飼いならしたのは紀元前3千年頃からだという。紀元前776年ギリシャで行なわれたオリンピックで優勝した選手の快挙を伝書鳩で故郷に伝えたというが、日本では第1次大戦中軍用通信に12万羽も活躍したというから、鳩は何も知らないで人間に利用された訳である。

 日本で戦後ハトを飼うブームがあったという。400万羽が伝書鳩で登録されていたが、今は飼い主も半減し、、生活環境が変わって余り見かけなくなった。受難の時代というのは、フンや鳴き声が嫌われていることで鳥害となっている。公共の場所から排除され餌を売ることは勿論、やることも禁止されているという。携帯電話の普及は鳩の方向感覚を狂わされているそうだ。人に慣れ慣れしいことから親しまれた鳩も、自然に帰ることは難しいだろう。

   キリスト教会では鳩のイメージは神の聖霊として受入れられている。山鳩として生息して欲しいものである。

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02/20/2008

「人と人つなぐKYのすすめ」

 朝日新聞の「風」というコラムに「人と人つなぐKYのすすめ」という沢田 亙さんの記事があった。興味深かったので取り上げる。

 KYとは「空気が読めない」「場の雰囲気に同調できないということだが、日本の学校に通う外国人の勉強を支援するNGO世界の子供と手をつなぐ学生の会」の紹介であった。首都圏8箇所でボランティアの大学生たちが160人の子供の勉強をつきっきりで見ているという。インドやフィリッピン人の子たちが、同級生達と意思疎通がうまくいかないで勉強が遅れたり、仲間はずれになるところ、毎週この会に通って元気を取り戻した事例を挙げている。

 他人の違いを示し自己の存在感を示す個人主義の社会で育つ子供たちを受入れるのが「学生の会」だという。今日本で住む外国人は06年人口の2%を超えているが、民族は人種の差別の壁を除く働きは一層求められる訳。

 沢村さんがパリ特派員だった時のことを書いている。

 『フランスでは至る所に「KY」がいた。どんなに行列ができようと窓口で苦情を押し通す客.討論番組は、相手にお構いなく言いたいことを言う参加者で、いつも終了時間がオーバーした。「他人との違い」を示すことこそ、自己の最大の存在理由。そんな個人主義が根を張る社会が、不思議なことにバラバラにならない。当局が不法滞在者対策を強めた頃、教え子や、わが子の仲良しが強制送還されないよう立ち上がり教師が送還に対する「盾」になろうと、教え子の「里親」になっていた。雰囲気に流されず、自立した個人として共感し、行動する。棟々な背景や価値観を持つ人々が暮らす社会で、「仏流KY」が人と人とを結ぶ接着剤なのだ』。

以前教会の幼稚園と小学生の教会学校に数年間インドから来た家庭の兄弟が通っていた。「人間みんな兄弟」という聖書の教えを一緒に学んだ経験を思い出している。確かに彼らはKY児だったが、教室で接着剤になっていた。

 

 

 

 

 

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02/04/2008

北朝鮮が韓国系カナダ人牧師を釈放

世界キリスト教界情報を開いていたら、北朝鮮で医療伝道をしているキム牧師の記事があったので転載する。
   北朝鮮専門のサイト『デイリーNK』によると、同国に2ヶ月半以上抑留されていた韓国系カナダ人のキム・ジェヨル牧師が釈放された、と同牧師が所属するカナダの『エドモントン第一長老教会』のチョン・デソン牧師が1月26日、『ボイス・オブ・アメリカ』放送に伝えた。

キム牧師は釈放直後に、カナダのエドモントンに暮らしている母親に直接電話をかけ、釈放の事実を伝えたという。
   キム牧師1997年、北朝鮮の羅津に歯科病院『羅津口腔予防院』を開設、その後、高麗漢方病院、産婦人科、チャンピョン幼稚園などを設立したが、200711月初め頃に、北朝鮮国家安全保衛部に逮捕された。

 同牧師は、北朝鮮政権を批判、人民を先導して教会を建てようとしたという内容の陳述書を作成したと伝えられた。
   この釈放のため、カナダ領事が200712月中旬から2回、北朝鮮を訪問し、韓国兼任カナダ大使も23日から25日まで平壌を訪問していた。

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