07/29/2008

路傍の石

   これは山本有三が1936年に書いた作品である。翌年日中戦争が起こり時の政府は「児童読物に関する指示要綱」を発表、民主主義を表わす内容のいっさいの読物に圧力をかけ禁止した。この作品は、人間に対する差別を批判し、人間の尊さを守り、力強く生きていくことを理想とする内容であったが、時局に迎合できない有三は、1940年に筆をおり、未完のままに終止符が打たれた。

  彼は「ペンを折る」の中で「時代の認識に調子を合わせようとすれば、ゆがんだ形のものを書かねばなりません。…あの作品は路傍に投げ捨てるよりほかありません」と書いているようだ。

   主人公の愛川吾一は貧しい家庭に育ち、小学校を出ると呉服屋へ奉公に出される。父庄吾は武士だった昔の習慣に囚われて働きを嫌い、母おれんが内職で生計をたてていたので、吾一は中学進学を断念したのである。希望していたが、母の苦労を見てあきらめる。その後、母親が手仕事で注文を受けていた呉服屋から丁稚奉公にと話があり、勤めることになる。そんな中の一場面がある(東映から家城巳代治監督により19646月「路傍の石」映画化)

  一番で高等小学校を卒業したものの、前途に希望を失った吾一は、卒業式の帰り道いつもの河原にやってきて呆然と立っていると、突然、クラス担任の次野先生に呼び止められた。「中学へ行けないんです」と一言発した途端、胸から悲しみが突き上げてきて、激しく泣きじゃくってしまった。しばらくして、次野先生は、「愛川、おまえの名前は何というのだ。ここに書いてみろ」と静かに話し掛けた。吾一は言われるままに、先生の拾ってきた石で「吾一」と書いた。

「吾一か、実に良い名前だ。吾一、おまえは自分の名前の意味を考えたことがあるか。吾一というのは、“我は一人なり”世界に何億の人間がいるかも知れないが、愛川吾一というものは、世界中にたった一人しかいないのだ。だが、一人ぼっちとは違う。仲間はたくさんいる。先生もおまえの仲間だ。千万人行けども我行かぬ。たった一人しかいない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら、人間生まれてきた甲斐がないじゃないか。福沢諭吉は言った、『学問は米を搗きながらでも出来る』って。これからのおまえの人生はおまえのこの二つの手で切り開いて行かねばならい。分ったか」。

次野先生の言葉は胸にずしんとくるものがあり、吾一はこっくりとうなずいて川の水で顔を洗うと、「ようし、やるぞ!」と勇気が沸いて来た。

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07/12/2008

黙すことの難しさ

  

三育協会(アドベンチスト教団出版部)のサインズ7月を頂いたが、その中に山北宣久牧師の“笑いとエスプリ”という記事が載っていた。ゲーテの日記にマクア・クルム教会を訪問した時、説教壇に「言葉は沈黙に基づく(Lingua Fundamentum Sancti Silenti)と彫刻されているのを見て心動かされ、手帳に書き写したということを紹介している。沈黙を経ない言葉は軽く、その場限りの思いつきで何も後に残らないということ、静かに深い沈黙の中で祈り、内面的な世界を掘り下げて外に向って語り伝えるというのが説教ということになるだろう。「沈黙は神からの言葉を思い巡らす領域」と山北牧師は結んでいた。

以前東京の「イエズス会黙想の家」で神学生の退修会が三日間あり参加したことがあったが、プログラムに沈黙を取り入れた処、会が終わった後の感想でH教授が音を上げて不評だった。教団出版部の「説教と黙想」シリーズの書物がいつの間にか「釈義から説教」に変わっているのを見ても、牧師は黙想が苦手であるようだ。

50年前、補教師試験に提出する説教の聖書箇所が詩62であった。その1節「わがたましいは黙してただ神を待つ。わが救いは神から来る」とあるが、この原文の「黙して」(ドゥミヤー)は、「黙して・待つ」の一語である。

いつも思い出している。

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06/22/2008

花の日

08a花を咲かせ、わたしたちに下さった神さま」 

イザヤ3512

 きょうは、「花の日・こどもの日」の日曜日です。どうしてその様の言われているかは週報に書きました。一寸読んで見ましょう。160年も前にアメリカのチャールス・H・レオナルド牧師さんが最初に始めました。それからしばらくして6月第二の日曜日を「花の日・こどもの日」にしようとキリスト教会で決めたのです。

お花は何もしゃべりませんが、花を通していろいろ神さまが教えてくださるのです。お花には大切なものが三つあります。何でしょうか。それは「土と水と太陽」です。これがあれば、いつでもどこで、種から芽が出て、葉ができて、大きく伸びてきて花が咲きます。

砂漠」という砂ばかりの処では草も木も生えて来ませんネ。何故でしょうか。ところがそこに雨が降り、川が流れると、一斉に緑の大地に変わるのです。ユダヤの荒れ野をバスで通ったことがありますが、所々に草と木が生えていました。それは谷間で一年の間に少しばかり雨が降って植物が生える土ができているからです。

今朝の聖書箇所には、砂漠に雨が降って泉が湧いて草が生え、サフランの花が咲くといっているところです。これは神さまがわたしたちに教えておられることです。

ところで、レオナルド牧師の真似をしてきょうはみんなにお花をプレゼントしようと用意しました。この花の名前を大人は知っていますが(教えないでください)、「千寿菊」「万寿菊」という日本名は知らないでしょう。これは花の寿命のことです。この花の原産地は雨の少ないメキシコです。水を切らせないなら五月から十月まで、次々と花が咲きます。

この花が咲き始めたのが、五月マリアさんの誕生日だったことから、「黄金のマリアさまの花(マリー・ゴールド)「黄金の花」と呼ばれるようになったのです。

花の王様はバラで、全世界の人から愛されていますが、一つ困ったことがあります。それは痛い、痛いとげがあります。好い香りだナと近づくとチクリと刺されます。それに比べると棘はないのですが、独特の香りがあります。それはハーブと同じです。今ひとつ神さまは、黄金のマリアさんの生えている根っこに線虫という作物の根を食う虫を防除する働きがあるのです。「線虫捕食菌」と呼ばれます。そこで、トマトや胡瓜、茄子の間に植えるのです。教会の畑に今年は、この花を植えているのに気付いたでしょうか。わたしは「マリー・ゴールドさん有難う」と言っています。

今ひとつは最近の化学実験から、この花びらから抽出した色素から「暗順応改善薬」の原料が取れたのです。「アドチプノール」と言われ、現在目の薬として使用されています。因みにこの花言葉は「生きる」です。

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05/22/2008

神の名を呼ぶ

Dscf0027  祈祷会で、加藤常昭著祈りへの道」を通読しているが、第8章「聖化される祈り」の本文に、心に留まった文があったので、少し引用したい。

 「神の名を知らなければ、祈ることはできません。しかし、神の名をちやんと知って、呼ぷことができるようになったら、その神の名を呼ぷだけで、そこに関係が成り立つのです。丁度、自分の好きな母親がそばにいてくれて、「お母さん」と呼べば、はっきり返事をしてくれなくても、こっちを向いてくれるのと似ています。それ以上の会話はいらないでしょう。親子の間には、それで通じるものがあるのです。…略…私どもと神さまとの間にも似たようなところがあるのではないでしょうかアッシジのフランチェスコという人のことは御存じでしょう。この人の最初の弟子になったの、ベルナルドという人でした。この人は、富裕な商人でしたが、ある時、自分の家にフランチェスコを招き、自分の寝室に一緒に寝てもらいました。彼が眠ったものと思ったフランチェスコは、起き上がって祈りを始めました。それは、「わが神よ、わがすべてよ」という言葉だけの祈りでした。それが朝まで続いたのです。この祈りを眠ったふりをしたまま聞いたベルナルドは、そののちに弟子になる決心をしたと言います。

 このよく知られた物語も、祈りとは、何よりも神のみ名を呼ばせて頂くことであるということを、よく示していると思います。もし皆さんの中で、祈ることはむずかしい、特に祈りの言葉を見出すのがむずかしいと思っておられる方があれば、神の名を呼びさえすればよいのだということを、一度よく考えてみてくださるとよいと思います。神の名を呼びさえすればよいのです。少なくとも、祈りはそこから始まります。」

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05/05/2008

生きる意味の発見

 浜松医大附属病院心療内科医の永田勝太郎さんの対談記事が朝日新聞に載っていた(0853)。タイトルは「生きる意味に気づく

永田さんはスイスの精神科医ビクトル・フランクルとの親しい交流があった方である。フランクルよく言っていたのは「どんな人間にも意味がある。その意味に向かって突き進むときに人間らしさが発揮される周りの人にできるのは、その意味に一緒に気づくこと」という。

ある時ふと浮かんだのが、学生時代に読んだフランクルの『夜と霧』でご本人に手紙を書いたら返事が来て「ウィーンにいらっしゃい。ホテルに着いたら電話を」。ふっとんで行った。それから亡くなるまでの十数年、休みがとれると会いに行ったそうだ。“先生は、ささいなことでも笑いに変えるユーモア精神の持ち主。一方で、ご自宅には、アウシユビッツで亡くなった人を運ぶ絵がかけてあった。自分に起きたことは、事実は事実として、どこかクールにみていた。先生が亡くなった翌年、僕は末梢から筋肉が萎縮して力が抜けていく病気で寝たきりになった。寝返りも打てない。温泉病院に転院して毎日リハビリしたが、良くならない。もうダメだ。先生の奥さんのエリーさんに「ごめんなさい。先生の元へいきます」と手紙を出しら返事が来て「彼がいつも育っていた言葉を贈ります」。〈人間は誰しも心のなかにアウシュビッツを持っている。でもあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない

何百回も読み返した。心のなかのアウシエビッツとは、生死を分かつような苦悩のこと。もしまだ僕を待っている何かがあるとしたら、何だろうか。それは医学教育だと思った。約2年休んで復帰した。多くのものを失ったけど、いまは杖もいらない。

いま、生きていてよかったと思うことは何か。それは医療職にとって一番避けたい話題は死。「先生私、死ぬんですか」って聞かれたとき、答えられない。だけど、いまは言える。「いいか、これは医者として言うんじゃない、人間として言うんだよ。僕は三途の川まで行って来たからね。だから今、生きていることが楽しくてしょうがないよ。あんただって今、生きてるじゃねえか」と。

Photo

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04/26/2008

平和の象徴ハト

   新聞記事に「平和の象徴に受難の時代」というタイトルの記事があった。ハトが何故平和の象徴なのか、余り知られていないが、聖書創世記のノアの洪水物語(8章11節)から来ている。新しい大地が到来した時にそれをいち早くオリブの葉をくわえてノアに知らせたことから、平和の象徴ということになったのである。以前煙草の「ピース」に絵柄でこれが画かれていた。

 鳩を人が飼いならしたのは紀元前3千年頃からだという。紀元前776年ギリシャで行なわれたオリンピックで優勝した選手の快挙を伝書鳩で故郷に伝えたというが、日本では第1次大戦中軍用通信に12万羽も活躍したというから、鳩は何も知らないで人間に利用された訳である。

 日本で戦後ハトを飼うブームがあったという。400万羽が伝書鳩で登録されていたが、今は飼い主も半減し、、生活環境が変わって余り見かけなくなった。受難の時代というのは、フンや鳴き声が嫌われていることで鳥害となっている。公共の場所から排除され餌を売ることは勿論、やることも禁止されているという。携帯電話の普及は鳩の方向感覚を狂わされているそうだ。人に慣れ慣れしいことから親しまれた鳩も、自然に帰ることは難しいだろう。

   キリスト教会では鳩のイメージは神の聖霊として受入れられている。山鳩として生息して欲しいものである。

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02/20/2008

「人と人つなぐKYのすすめ」

 朝日新聞の「風」というコラムに「人と人つなぐKYのすすめ」という沢田 亙さんの記事があった。興味深かったので取り上げる。

 KYとは「空気が読めない」「場の雰囲気に同調できないということだが、日本の学校に通う外国人の勉強を支援するNGO世界の子供と手をつなぐ学生の会」の紹介であった。首都圏8箇所でボランティアの大学生たちが160人の子供の勉強をつきっきりで見ているという。インドやフィリッピン人の子たちが、同級生達と意思疎通がうまくいかないで勉強が遅れたり、仲間はずれになるところ、毎週この会に通って元気を取り戻した事例を挙げている。

 他人の違いを示し自己の存在感を示す個人主義の社会で育つ子供たちを受入れるのが「学生の会」だという。今日本で住む外国人は06年人口の2%を超えているが、民族は人種の差別の壁を除く働きは一層求められる訳。

 沢村さんがパリ特派員だった時のことを書いている。

 『フランスでは至る所に「KY」がいた。どんなに行列ができようと窓口で苦情を押し通す客.討論番組は、相手にお構いなく言いたいことを言う参加者で、いつも終了時間がオーバーした。「他人との違い」を示すことこそ、自己の最大の存在理由。そんな個人主義が根を張る社会が、不思議なことにバラバラにならない。当局が不法滞在者対策を強めた頃、教え子や、わが子の仲良しが強制送還されないよう立ち上がり教師が送還に対する「盾」になろうと、教え子の「里親」になっていた。雰囲気に流されず、自立した個人として共感し、行動する。棟々な背景や価値観を持つ人々が暮らす社会で、「仏流KY」が人と人とを結ぶ接着剤なのだ』。

以前教会の幼稚園と小学生の教会学校に数年間インドから来た家庭の兄弟が通っていた。「人間みんな兄弟」という聖書の教えを一緒に学んだ経験を思い出している。確かに彼らはKY児だったが、教室で接着剤になっていた。

 

 

 

 

 

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02/04/2008

北朝鮮が韓国系カナダ人牧師を釈放

世界キリスト教界情報を開いていたら、北朝鮮で医療伝道をしているキム牧師の記事があったので転載する。
   北朝鮮専門のサイト『デイリーNK』によると、同国に2ヶ月半以上抑留されていた韓国系カナダ人のキム・ジェヨル牧師が釈放された、と同牧師が所属するカナダの『エドモントン第一長老教会』のチョン・デソン牧師が1月26日、『ボイス・オブ・アメリカ』放送に伝えた。

キム牧師は釈放直後に、カナダのエドモントンに暮らしている母親に直接電話をかけ、釈放の事実を伝えたという。
   キム牧師1997年、北朝鮮の羅津に歯科病院『羅津口腔予防院』を開設、その後、高麗漢方病院、産婦人科、チャンピョン幼稚園などを設立したが、200711月初め頃に、北朝鮮国家安全保衛部に逮捕された。

 同牧師は、北朝鮮政権を批判、人民を先導して教会を建てようとしたという内容の陳述書を作成したと伝えられた。
   この釈放のため、カナダ領事が200712月中旬から2回、北朝鮮を訪問し、韓国兼任カナダ大使も23日から25日まで平壌を訪問していた。

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01/23/2008

デジタル思考

   中国新聞に山本晴義さん(横浜労災病院勤労者メンタル・ヘルスセンター長)の「働く人のストレス対処法」という記事がありました。

それは世の中で、すべてを白か黒かで考える癖がついていたり、結果が出なければすべて無駄だと思ってしまう「デジタル思考」に問題性を示していました。

デジタル思考は正確さや効率性を求めるのには最適ですが、想像力やゆとりなどを奪い、仕事を続けていると必要以上に自分で自分を追い詰め、ストレスを増加させことになるのです。世の中にはプレッシャーに強く、競争社会で生きることを得意とする人もいますが、そういう人ばかりではないのです。時にはアナログ的な考え方を取り入れていく必要があるのです。考え方をアナログ的に柔軟に切り変えられると、心に余裕が生まれ、アイデアがわいてくることもあります。

 たとえば、会社の方針と違うことばかりを主張する部下がいると、「一緒に仕事ができないから排除しよう」と考えるのがデジタル思考。そうではなく、「人の数だけ考え方があるのだから「丁寧に話を聞いてみよう」と考えるのがアナログ思考だという訳。

 一人一人違って当然と考えられるなら、自分の心も楽になる。無理に意見を変えさせようと躍起になり、排除しようとすると余計に人は、頑なになる。

現代は、便利で分かりやすさが尊重されるデジタル的な世の中で良い・悪いといった二進法的な考え方では判断や解決できない問題がたくさんある。無理に白黒つけようとせず、アナログ思考に切り替えてストレスを減らすことを勧めている。

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01/15/2008

「待った」と「悪手」

 将棋の米長邦雄さんが東京都教育委員会の委員長を8年務めて昨年1220日退任されたたが、朝日新聞に今春の学習指導要領改訂に関連した文を載せていた。その中にこんな記事があったので、引用したい。

 「『ゆとり』から私自身も学んだことがある。将棋の対局では最善手を指すことと『待った』をしないことは絶対である。しかし『ゆとり』では、『待った』と『悪手』を奨励することこそ大切なのである。『ゆとり』は、児童生徒が失敗をしてやり直すことを前提とする。総合学習では、自らが学習の主体となり、失敗やつまづき、成功や達成、あるいは困難や障害を乗り越える大切さといった経験を、自分のものとして感受する。また獲得した知識や技能の有効性や可能性を、体験を通して検証したり修正したりすることによって『生きて働く力』へと高めていく。

 最善手を指さなくてもよい。失敗したら、どこで

(

つまづ

)

いたかをじっくり考える。その体験こそ『ゆとり』の神髄である」と。

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01/09/2008

癌と向き合う

 殆んど買わない読まない週刊誌だが(もっとも病院の待合室は例外だが)、新聞広告で、“著名人21人の証言「がんと生きる、がんに生きる」”という記事を見て先般買って来た。がんとの向き合う態度はみな違っているが、手術が終わっても再発の不安を抱いている。「がんと生きる」のは誰でも勇気を要する。小見出しを拾ってみると「再発してもとればよい」、「本当の闘いは手術後だった」、「今のほうが生きている」、「お洒落とおすしでふっきる」等。

その中に「手術中に『ナイスショット!』」というのがあった。69歳の写真家、健康診断の内視鏡で悪性タイプと胃がんが判明した。転移が早く手術なしの治療法は予後が悪いということから手術を決断したとか。

自分にとって最善の治療法を選びたいと何度も主治医と話し合ったので、手術台に乗った時はすっきりした気分でした。あとで医師に聞いた話でしたが、ゴルフ場でプレーする夢を見たのか、突然『ナイスショット!』と叫んだそうです

術後生きることを再取得してから何でも真剣にやりたくなったそうだ。「例えば今まで漫然と目の中に入れていたものでも、目を凝らしたいと思うようになりました。

人は意外と曖昧に物事を見ていますが、…一瞬に重みを置くようになったら、今まで目に入らなかったものが見えるようになりました」と述べている。

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12/29/2007

睡眠時間

  

   皆は睡眠時間をどれくらい取っているのだろ。ジョンエスレーは一日3時間かとか4時間とか、旅行の時など馬の上で仮眠をとったと伝えられている。日野原重明先生は3時間で充分だそうだ。以前神学生時代に、先輩が睡眠時間を罪悪視で話していて驚いたことがある。惰眠を貪るというのはいけないかも知れないが、充分な安眠時間は必要なこと、1272に「主は愛する者に眠りをお与えになる」とある。これは朝日新聞に載っていた記事である。

睡眠は8時間がベスト」とよく耳にするが、本当に正しいのか、理想の睡眠時間が別にあるのか。睡眠障害にくわしい円山真・日本大学医学部教授に尋ねると「8時間にこだわる必要はありません。個々人の体質によって理想の睡眠時間は違います。日中の眠気に悩まされないならばその人にあった睡眠時間といえるでしょう」という答えである。健康・体力づくり事業集団97年に実施した睡眠時間に関する調査がある。それによれば最も多いのは「67時間未満」(37)で、「78時間未満」は(25)、「56時間未満」(24)という。「8時間以上」は9%しかいなかったとか。しかも、「睡眠が十分とれている」と答えた人の77%が8時間未満だったそうだ。

内山先生は、年相応の睡眠時間があるという。「高齢になれば、体が必要とする睡眠時間は短くなります。健康な人なら、65歳を過ぎで6時間半くらいでしょう。休が必要とする以上に眠っていると、夜中目が覚めたり眠りが浅いことを余計に自覚します」季節によっても、睡眠時間は違う。一般に夏より冬の方が、30分から1時間ほど長いそうだ。

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12/22/2007

「クリマス・エコ」

 海外ニュース「クリマス・エコ」の記事

 クリスマスシーズンを迎え、クリスマスツリーの電飾を控えるなど、環境に配慮した「グリーンクリスマス」が英国で広がりつつあるという。

主流だった手ごろな伐採木や人工のツリーに代わり、今年は鉢植えが人気となっている。小売店や住宅街のイルミネーションも一部減少傾向で、「エコの波」が押し寄せているそうだ。

 実際は、鉢植ツリ-は、植え替えなどの手間がかかり、価格も伐採代大より約三割高いため、消費者に敬遠されがちだったが、学園都市ブルッセルでは環境問題に関心を持つ顧客を中心に二週間で百本と昨シーズンより三割増の売れ行きという。

 スウェーデンのストックホルム環境研究所によると、英国内でクリスマス前後三日問の消費エネルギーは、過剰な電飾などで消費全体の三剖を占めているが、これによって六割のエネルギー削減という大幅な節電になる。

 またギフトの未包装を依頼する顧客25%と、昨年の5%と比べ急増。ある店長の話では「過剰包装、大量消費のクリスマス時代遅れになりつつある。クリスマスカードも森林保護活動などへの寄付金付きが人気」とか。

 街のイルミネーションにも変化がみられるようだ。生花店の店長さんによると環境問題への意識が広がった二年ほど前から街の電飾が減りつつあるという。「電飾よりも、自然を楽しむクリスマスがおしゃれ。硬くなったパンや野菜を星形にくりぬいて庭のツリーに飾るのがお勧め。小鳥たちがついばんでいるのを見ると、自然の大切さを実感できます」。店長さんは、枯れ木で作ったツリーを顧客に薦めているそうだ。

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12/21/2007

音楽と人の出会い

 朝日新聞の人・脈・記というコラムに「ピアノが見た夢」連続記事があった。ノーベル化学賞を受賞した東大教授・小柴昌俊さんが地下1000mで素粒子観測装置を造って実験したというニュースを見たことがあったが、1994年空洞の完成祝いにピアニスト遠山慶子さんを招いて演奏会を開いたという。

 小柴さんは中学1年に楽器店でチャイコフスキー「白鳥の湖」を聴き、美しい響きに魅せられ作曲家にあこがれた。その歳の秋小児麻痺にかかったが、担任教師から見舞いで「物理学はいかに創られたか」を貰ったという。退院したが手足は思うように動かない。ある日登校中に転び起き上がれなくて、惨めな思いを持った。見上げた空が涙に滲んだという。右手に障害が残り作曲家の夢は諦めた。

 旧制一高時代、寮の風呂場で「小柴の成績では物理学に進むのは無理だろう」という陰口を耳にし、こんちくしょうと猛勉強、東大へ進み、ノーベル賞に結びつく研究に進んだ。その傍らに何時もクラシック音楽があった。留学先の米国でバッハのオルガン曲のレコードを買い込んだ。

  遠藤周作は東京に遠山慶子さん、夫の音楽評論家遠山一行さんが世話役になってサロンを開いた。そこで月2回ほど文化人が集まって講演や演奏を楽しみ、加賀乙彦、三浦朱門、河合隼雄らが顔を出していた。1988年遠藤が一緒に功労者に選ばれた小柴を誘ったのが、遠山慶子さんとの出会いで、そのピアノを聴き「モーツアルトが体にしみこんでくる」といった(以下略)

 これは興味深い「音楽と人の出会い」である。

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12/12/2007

十字架は罪の病を癒やす

  これは重い腎臓病を患った少年の治療のためになされた実験的な提案によって腎機能が回復したという実話です。

少年の病状は一刻を争い、何か思いきった処置がなされなければ死んでしまうところに来ていました。最高の医療関係者たちが協議をし、大胆な提案は少年の身体と健康な腎臓を持つ別の人の身体をつなげることでした。医師団はこの提案に希望をもって賛同しました。そして血液型が少年と適合する父親が選ばれました。医師たちは父親を入院させ、早速手術室で息子のベッドの右側に寝かせ、そして二人の血管をつなぎ合わせたのです。少年の汚れた血液が父親の身体に流れ込み、父親のきれいな血液が少年の身体に流れ込み始めました。すると少年はずっと続いていた高熱が下がり始め、逆に父親の方は体温が上がり始め、二人の体温がほぼ同じレベルになるまで続き、やがてゆっくりと二人の体温は平常値まで下がりました。実験的治療は成功したかに見えました。少年を9日間病院で経過を観察、10日目に退院しました。しかし父親は引き続き治療が必要でした。11日目、父親の熱が急激に上昇し、あっと言う間に天に召されてしまいました。

 私はこの記事を読んで、これほど見事に十字架を言い表している出来事はないと思いました。天の父なる神は、私たちの罪という致命的な疾患に対し、まさに御子イエスをつなげることによって、ご自身の清さにあずからせようとなさいます。主イエスは私たちの罪と病をご自身の身に負い、本来は私たち自身が担わなければならない刑罰を引き受け、私たちの身代わりとなって死んでくださったのです。それはイザヤ5334の預言の成就でした。

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